前回の続き

私は金の卵?
皆さん金の卵って知っていますか?

中学校を卒業して就職をする人たちを、この様に呼んだ時代がありました。
この私も中卒で就職し、他の人より早く社会に出たいと考えておりました。なぜなら他の人より一歩先を歩んでいた方が私には得であろうと考えていたからである。

しかし自分の思うようには行かず、高校へ入学することになる。入学後半年位過ぎた頃、母親に就職したい旨を話すが、却下される。では全日制を定時制に変えるというのはどうか?と提案するが、あと2年で,卒業だからそのまま高校へ行くように!と諦めさせられた。そして待ちに待った高校卒業まじかに・・・・。

事もあろうか大学推薦の話が私を襲った。当然両親に話さざるを得ないことなので、これこれしかじか・・・と話す。答えはと言うと、もちろんお察しの通り大学へ行くようにとの事。で私はどうしたか? そのまま大学へ・・・行くことにしました。

そんなこんなで、私は金の卵には成れずじまいで、ごく普通の学生になりました。とほほ・・・。
どんな学生生活を送ったか?
 大学時代は、と言うと・・・うん〜ん

それはそれは、真面目に勉学に励んでいました・・・?1年・2年生の時は毎日授業に出ていたのは確かで、それなりに勉強していたと思います。ただ今でも残念に思うことがあります。それはと言うと、心理学を勉強したかったのですが、授業時間割の都合上どうしても履修できず諦めました。ではなぜ心理学を勉強したかったのかと言うと、それを通して自分とはどんな人間か、他人と何が違うのか、自分は何を持っているのか、それが判れば自分を伸ばすヒントが掴めるのではないか?と考えたからである。

なぜ履修出来なかったかというと・・・、自宅と大学との距離に伴い交通手段が大きく関わっておりました。自宅最寄駅から大学最寄駅まで国鉄(今はJR)で片道2時間、徒歩30分、体育の授業がある日は片道4時間となってしまうのです。しかもこのときの電車の本数が非常に少ない状況で通常1時間に1本、時間帯によっては、
2時間近くに1本と、その時代だからこそ許されていただろうと言うありようでした。

何時代の話なの?と問いかけられそうですが本当の話です。 その路線と言えば、常・磐・線(ここの所は一文字ずつ、ちからを込めて読んで下さい(笑い))。
しかし今では、こんなに本数いらないだろう・・・と言うほど増えています。(お〜どろきです)
(大学卒業後私はその常・磐・線に・・・。)

下宿やアパートは考えなかったのか?と思われるかも知れませんが、母親曰く、それを許したらお前は遊んでしまうだろうから自宅から通うように!と言われました。さすが母親!!判っていらっしゃりますなぁ〜。
3年・4年は何してた?かと言うと、1年・2年でめい一杯授業をとったので、空き時間が沢山有りましたのでバイトをしてました。と言うよりバイトが主でした。もう一声言うと社員のようでした(正直社員より働きました。これが後々トラブ・・・に)

会社は私にとても良くしてくれました。一緒に入った友人も居ましたが、私はその友人よりも優遇されました。
バイトなのにボーナスは出るわ、時給は上がるわ、旅行には連れていってくれるわとても良い待遇でした。
特別な事はしていないのだけれど、できる事は進んでやりました。その行動を必ず誰かは見ているんだと思います。

いい加減な事をすれば必ずしっぺ返しが来ます、必ずです。このことは誰に教わることもなく身についていました。
かたや友人はそれは適当に、社員もそれなりに働いていたように私からは見えていました。その差がトラブルになった!のだと思います。それに違いない!

社員からこの様に言われました。今でも忘れません。
社員曰く、バイトのくせにやりすぎ(働きすぎ)だよ!俺達の立場がないじゃぁないか、いい加減にしろ!
この様に言われた私はどうしたか?と言うと、どうもこうもしませんでした。だって適当に(いい加減に)やる事が出来るほど立ち回ることが出来るなら初めからそうしています。 そんな事私には、出・来・ま・せ・ん!!

そのまま2年が過ぎ、無事卒業単位も満たし(20単位余計でした)て卒業を迎えるころバイト先会社側から就職して欲しい旨の打診がありました。その会社の経営を半分任せたいと言う事でした。
これにはちょっと気持ちが ゆ〜ら、ゆ〜らとゆれたのは確かでした。
この頃オイルショックのあおりが残っていて、就職難でしたのでこの話には心惹かれました。

ということで私の学生時代はバイトが主であったのには間違いないようです。
バイト中、毎日が楽しい時間が過ぎて行きました。この頃私の時給は600円。
私の住む地域では悪くなく、どちらかと言うと良いほうでした。一分10円5分経ったので50円。この様に一分一分の積み重ねが、時給の600円となり、1日4800円、そして一ヶ月で・・・円と、文字通り時は金成りを地で行く私でした。
時計の針を見た時にどれだけ時間が過ぎているか、がとっても楽しみで楽しくて、こんな思いでバイトに励んでいました。

何のために大学に行ったのか・・・? こんな事を知ったら両親、特に母親にはこっぴどくしかられそうです。
ごめんなさい。ってここで謝ってもしかたないですが・・・。 

 どこに就職したか?

卒業後は前項でちょっと触れましたが、国鉄(今はJR)に就職しました。
常・磐・線を管轄する水戸鉄道管理局と言うところです。
なぜここにしたか?と言うと、友人の影響でした。友人の父親は国鉄職員で、友人も大学を卒業したならば国鉄の入社
試験を受けると言うので私も受ける事にしました。私は長男なので地元で就職するのが良いだろうとの考えからでした。

この頃の社会事情(就職状況))と言えば、オイルショックの影響で国全体が不景気に見舞われ、民間会社では求人募
集する会社が多くはありませんでした。そのため公務員試験には沢山人々が挑戦したようでした。景気が良い時は民
間企業に就職する人が多くなり、不景気のときは公務員がもてはやされる状況は今でも変わらないとようです。

私は幸運だったと言うことでしょう。ネ!
そして教育を受ける為に鉄道学園に通うことになり、毎日水戸まで通っておりました。

 1ヶ月?2ヶ月?何ヶ月通ったのか忘れてしまいました。が教育も終わり、赴任先が決まりました。
赴任先は荒川沖駅でした。赴任先に行ってみると、なんと綺麗な駅舎でしよう!
それもそのはず、一年前に出来た橋上駅でした。この橋上駅は常磐線初の駅と言う事でした。
駅と言うと、田舎の駅特有の木造作りで隙間風が入るようなイメージがありましたが、なんのなんの、ここに赴任できて
ラッキーと思いました。職員達もみな親切で、色々と教えてくださいました。年配者達は仕事を中心に、若者達はと言うと
駅を利用する女性の名前などを教えてくれました。駅をいつも利用していると女性のほうから話かけてくるんだそうでし
て、これが縁で結婚する職員が割合的に多いと言うことです。この時の荒川沖駅職員、確か全員で20人位と記憶してい
ますがその内の5,6人は改札口から恋が芽生え、結婚にいたったそうです。その時分、なんかうらやましい気がしてい
ました。

ここだけの話ですが、実は私も改札業務中に綺麗な女性から・・・・・昔の話ですからここで書こうと思いましたが・・・。
あっ! やっぱりまずいですのでごめんなさい。私に声を掛けるなんて、蓼食う虫も何とか?と言うではないですか?
私も嬉しくないと言ったら勿論嘘になります。ハイ!

仕事に関しては何にでも興味があり、1日でも早く覚えようと、新人ながら改札業務に出札業務、精算業務と時ある事に
手を出し、細かく教えて貰いましたし、なぜか私には年配者や中堅所が熱心に教えてくれていたように記憶しています。
この仕事に対しての一生懸命さが、やがて・・・に繋がるとは誰が予想しただろうか?
(私自身でさえ、予想しておりませんでした)

私の事で、大騒ぎ!

その一年後、私が転勤する話が持ち上がり、駅職員中すったもんだの大騒ぎになってしまった。
私が新人で赴任したその1ヶ月後、2人の新人が赴任してきました。この2人はそれなりの仕事ぶりで、私と比べる事も
ないようでした。そのように先輩職員は言っていたと後から聞かされました。それを聞かされた私はと言うと、嬉しいと
は思いましたが、自分のためにしていたので手放しで喜ぶような気にはなりませんでした。(だって自分の為ですもの)

先輩職員達は私の仕事に対する姿勢を評価し、この駅で育て、この駅に勤務させ、一緒に仕事をして行きたいと考えて
いたとの事で、口をそろえて私の転勤には反対していたそうです。そこで転勤させるのは誰がいいか?と言うことになり
私の後から来た2人のうちどちらかを転勤させようと駅長は考えたのでした。が、先にいたものが転勤することが普通で、
後から来た者を先に転勤させるなどかつて無かったようです。
(管理者になって転勤することは別)その2人の後輩からクレームがつき大騒ぎになってしまったのです。
そのうちに一人は仕事を辞める、と言い出したのでした。これには駅長は困り果て、悩みに悩んで10キロ痩せてしまった
と本人は言っていました。私が見るにも明らかに痩せていました。

事態の収拾は、私の一言

当事者の私もここに残って綺麗な職場で働きたいと思っていたのは事実で、他の駅に行こうとは思いもしませんでした。
しかし、転勤は避けて通れないと思うようになり、私自身の為にも転勤して一回り大きなるチャンスと思う事にしました。
転勤する当日私の挨拶の中で、私は転勤いたしますが、ここで欲しがられた様に、新任先でもまた同じように欲しがら
れる人間で有りたい!、何処へ行っても欲しがられる人間になります。と言ったことは今でも忘れていません。

さて、転勤先はどこか?と言うと、なななあ〜んと、隣駅でした。


自分ひとりで生きてゆけるなんてありえない。誰もが誰かの力または何かの力を借りて生きています。一人では絶対に生きてゆくことは出来ないことを今一度心に刻んでください。そして生き抜くためには何が必要なのか考えて見て下さい。人生は一度きり、幸せに暮らして欲しいとおもうからです。では、幸せとはなんなのか?知る必要があります。それを知らなければ幸せになれないからです。当社は、あなたが幸せに成るためのほんの一部をご提供できると信じております。ぜひ幸せを手に入れてくださいますようお祈りいたしております。

    

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